2018-01-01から1年間の記事一覧

その2

その時の試験はそれまでの実績により筆記試験はレポートでよろしいという事であった それまで試験を落ちたものは一人もいないのでわざわざ時間をかけて行うまでもないという事からで、それは何の問題もなく終了した 残るのは実技の航法である 本来ならT-33に…

人生最高のまぐれ

浜松の過程を終了するとウィングマークを授与されいよいよ一人前のパイロット(第一線で使い物になるわけではない)として認められることになる しかしウィングマークはあくまでも自衛隊内での資格であって日本という国で認められたパイロットではない 資格…

続き

自衛隊を退職し後は浜松で前に書いた所長のもとで車の営業をしていたが、そんなある日懐かしい男から連絡があった それは浜口からでもうすぐ浜松を卒業するので、その前に飲みに行きましょうという事だった 退職した私をおぼえていて浜松を去る前に一緒に飲…

後輩

航空学生は海上自衛隊にもあり2年次になるといくつかのスポーツで航空と海上の対抗戦が行われていた(今も行われているのかどうかは知らない) 種目は少ないために高校時代にやっていた競技ではなく授業で体験した程度の競技に入った その競技は県リーグもあ…

ブルー初の人身事故

浜松の航空ショーでブルーインパルス初の死亡事故が起きた時に私はすでに自衛隊を辞めていて人づてに知ることになった そして殉職者が高島二尉(浜松時)だと知って少なからぬショックを受けた 高島二尉は私が浜松にいた時に教官として在籍していらしたがと…

人身事故

忘れもしない、それは1年の最後を締めくくるはずの日に起きた その日は訓練もなくブルーインパルスだけが訓練を行い、終了後には冬休暇となって故郷に帰るはずだった ブルーインパルスも訓練を終わり、さあ休暇だと全員が身の回りの物を整理し始めバタバタと…

その2

松坂慶子のトークと歌の後にブルーインパルスが飛んだのだが、去年だかネットの書き込みに 自衛隊は松坂慶子の為にブルーインパルスを飛ばせた という書き込みを見た いまだにそんなデマを書いている者がいるのには驚いた ブルーインパルスも普段は訓練空域…

松坂慶子とブルーインパルス

浜松は厳しい思いから書いたがだからと言って辛かったことばかりでもなく、けっこう楽しかったことも多かった ただ人間というもの長い年月が経るとつらかったことははっきりと覚えているが、楽しかったことは具体的に何が楽しかったのかは意外と覚えていない…

ひっそりとファイナルチェック

ある日のこと訓練を終えてしばらくするとその日同乗した教官から呼ばれた そこには普段温厚で怒ることも無い飛行隊長が厳しい表情をして教官と一緒にいた これから飛行隊長と一緒にフライトシュミレーター(今はシミュレーターと言うのだろうが当時はシュミ…

修正できず

その日は天候が不安定でやや不安を残しての訓練となったがランディングに入るまでは何の問題も無かった しかし着陸時にアップウインドウレグから滑走路に向って降下中のことだ いつもより高度が落ちずどう見ても高度が高すぎて着陸できる状態ではない やり直…

やらかす

浜松ではそれまでより訓練も高度になりそれまで感じなかった自分の問題を突き付けられることが多かった 結局、浜松が人生の転換点だったのかとも思う ある日のソロフライトでのことループ(宙返り)に入った時、操縦桿からドドドと振動が伝わってきた T-33は…

初めての居眠り

当時の第一航空団にはブルーインパルスもいた 今は松島の第四航空団でT-4を使って飛んでいるがその当時はまだF-86を使い浜松にいた 浜松までくると訓練時間(飛行時間)も多くなり教官も忙しいためにがくせいの訓練に対して教官が足りなくなることがあった …

第一航空団

芦屋での課程をを終えると浜松(第一航空団)での操縦過程(上級)へと進むことになった この過程を終えればウィングマークを獲得して一人前のパイロットとして認められることになる もちろんそのまま第一線での任務に就けるわけではないが航空自衛隊のパイ…

海上救難訓練

芦屋では海上救難訓練を経験することができた 内容といえば一人乗りのゴムボート(通常はパックに収まっていて、飛行機の中では尻の下に敷いている)に乗り海の上をぷかぷかと浮いているだけなので、何もすることは無い 中には釣り道具、を持ってきて釣りを…

その2

暗闇の中を一人ぼっちで飛ぶというのは恐ろしいものである 離陸後まずは目標を見つけようと周辺を見渡すが灯が点在していて、どれが自分の設定した灯なの全くわからない ヤバいこのままでは機位を失って基地に帰れなくなってしまうのではないか そういう考え…

初ナイトソロ

飛行機は夜も飛ぶ 防府でもナイトフライトの訓練はあったがあくまでも教官同乗での訓練だった 芦屋では数度のナイトフライト訓練の後ソロでナイトフライトを行うことになっていた ソロフライトは教官の怒声という最高のプレッシャーが無いのだから全て自分の…

どうしようもない

高速失速と判断しスティックを引く力を緩め再び引き戻す ドドド やはり失速の兆候だ、もう一度力を緩めるがループを行うために上昇中だこれではループは出来ない おかしい 速度計に目をやるとすでに速度は200ノットを切っており更に針は下がり続けている …

備えあれば憂いなし

その日のソロフライトは天候も良く順調に演目をこなしていたハズだった まずは軽くロール系からエルロンロールにバレルロール よし次はループをやるかと思いやや機首を下げ機速をあげる 現代の戦闘機は機体重量よりも推力が上回るためエネルギーを失いやすい…

繊細かつ大胆に

繊細と大胆は一般的には反対に位置する言葉とイメージされていて両立することはあまり考えられていないと思う しかしパイロットにはその両立が求められている 物事を大体で済ます人間には飛行機を操縦することはできない いずれどこかで事故を起こすことにな…

イーグルアタック

訓練の中に低速時の操縦感覚を養う目的で行われるスローフライトという演目がある ギアとフラップを下ろし失速手前の速度で飛ぶというものだ 通常の飛行中はクロスチェックといって計器と周りの状況を素早く見回しながら飛んでいるが スローフライトの時だけ…

関西人というのは

自衛隊に入ると全国から人がやってくる 出身地は人それぞれ、方言もそれぞれ その中で絶大な影響力を持つのが関西弁だ はじめのうちはそれぞれの方言で話をするが、慣れてくるにしたがって、ほぼ全員が自分の言葉は方言だと気づき標準語(今では死後か)に慣…

そんなことを言われても

管制から離陸許可が下りた 「〇〇、芦屋タワー。クリアード フォー テイクオフ テイルウインド フロムライト ユースコーション」 (cleared for take off use caution) えっ 追い風? その日はソロフライト、しかも追い風で離陸したことは一度もない 正直に言…

そんなこと言われても

芦屋の滑走路はかなり短い それでも大型機の運用には無理はあるがT-1の訓練基地としては不足のないレベルといったところだ 飛行機というものは翼の上面と下面の流速差から発生する揚力を利用して飛んでいる 離陸するときは次第に速度が上がり飛行機が飛び上…

水平線は丸かった?

芦屋での訓練も終わりに近づいたある日の訓練で、コマンダーが突然「ハイハブコントロール(I have control)」 と自ら機体の操縦しはじめた 「ユーハブサー」 コマンダーの意図がわかりかねながらも操縦桿から手を離すと機体は上昇を始めた コマンダーは何を…

続き

Nは付属中学上がりで注意すべき同級生として話を聞いていた 寮の自習室に組の一の子分でNが兄貴と呼ぶ男が土足で 「坊ちゃんは居るか」 と言いながら入ってきたとか 私やNの居る寮はグラウンドを挟んだ校舎の向かい側にある したがって学校から帰る時には見…

準母校

先日テレビで私の準母校があるスポーツの全国大会での活躍を放送していた 準母校というのは母校ではない 同じ敷地に2つの高校があって私の母校の進学校と伝統あるスポーツ強豪校が同じ校舎の中にある 放送を見ながら見ながら思い出したことを一つ 同級生にヤ…

芦屋へ

無事に?初級過程を終了するとレシプロのT-34からジェット練習機のT-1のある芦屋へ行くことになる 思い返せばこの芦屋での訓練か一番充実していたのではないかと思う 前にも書いたようにそれぞれの学生に、通常は学生二人に教官一人。 劣等生だった綿の事を…

二匹目のドジョウはいない

今どうなっているのかは知らないが当時の防府はパチンコ屋が多いので有名だった ほかの地区のパチンコ屋の閉店時間がほかの地方より1時間遅かったことでも防府の人気レジャーであることがわかる のちに私もパチンコにハマる事になるがそれは機会があった時に…

理不尽

空の世界には曖昧がない 危険か安全か、出来るかできないか結果が全ての世界である パイロットを育てるために教官も一方的に学生を叱り飛ばす 今の時代の学校に通う生徒に対する先生のようにどうしたら出来るか一緒に考えるなんてことは無い 此方が何がわか…

マイナスG

私の担当教官は非常に厳しい指導をする方だった それは指導に熱心であるこの裏返しであり、私たち学生を何とか一人前にしようという思いがある そういう事がわかっていても厳しいのは嫌なものである 優しい教官もいるなか何故こんなに厳しい教官に当たったの…