松坂慶子とブルーインパルス
浜松は厳しい思いから書いたがだからと言って辛かったことばかりでもなく、けっこう楽しかったことも多かった
ただ人間というもの長い年月が経るとつらかったことははっきりと覚えているが、楽しかったことは具体的に何が楽しかったのかは意外と覚えていないものだ
時に訓練が中止になることがある
それはほとんどが天候不良によるもので当日の朝に決まることがほとんどである
その時は前日に訓練中止を伝えられた
何でも松坂慶子という芸能人が慰問で訪れるらしいという理由だったがテレビを見ることは無かったので名前すら知らなかった
若い人たちは知らないかもしれないが「水中花」というドラマで主演をしている女優さんで「愛の水中花」という主題歌も歌っているらしい、という程度のものだ
慰問当日ハンガーで松坂慶子さんのトークと歌があったが残念ながら近くで見ることは出来ず、きれいなのかどうかさえも分からなかった
前もって教官から人だかりの前に行くことを禁じられていたためだ
教官曰く
お前たちが前に行こうとすれば皆お前たちを前に出してくれるだろう。しかしそれではいけない。日頃お前たちは整備員やその他隊員たちのおかげで飛べている。こんな時は彼らに譲らなければいけない
ひっそりとファイナルチェック
ある日のこと訓練を終えてしばらくするとその日同乗した教官から呼ばれた
そこには普段温厚で怒ることも無い飛行隊長が厳しい表情をして教官と一緒にいた
これから飛行隊長と一緒にフライトシュミレーター(今はシミュレーターと言うのだろうが当時はシュミレーターと言っていた)に乗れ
私の頭の中は疑問で一杯になった
よほど教官だ足りない状況でなければ飛行隊長が学生と乗ることは無いし、おまけにフライトシュミレーターとはどういう事だろう
実機とは違い趣味レーターなのでただ飛んで降りるだけなのだがなんの意味があるのか
そんなことを考えながらシュミれーた訓練が始まりしばらくしたころに飛行隊長がすさまじい剣幕で怒り出した
お前は速度も守れないのか!
もちろん私は速度をきっちり守っていたつもりだったが飛行隊長から言わせるとかなり適当になっているのだ
その当時の速度計はアナログである
速度計の盤面には速度を細い戦で表示してあり、速度を表す針が刺したところが現在の速度である
飛行隊長曰く
盤面の線も針も針もどんなに細くても必ず厚みがある。決まった速度を守るという事はその線の中心と針の中心をきっちりと合わせることだ
それまで一度もそんなことはかんがえたことは無かった
線と針を合わせるのではなく線の中心と針の中心を合わせて初めてその速度といえるのだと
自分の性格を大雑把と言ったがそれを悪く言うと適当となる
つまり私は適当な人間だったわけだ
意識してやればそんなことは簡単なのだがそれが出来なかった、いややらなかったことが問題だったのである
シュミレーターを降りるといつもの飛行隊長み戻って優しく注意を与えて訓練は終わった
後から教官が私に実はファイナルチェックであった事を教えてくれた
ファイナルチェックから戻ってきたものはごくわずかである事は以前に書いた
飛行隊長はワイネルチェックであることを告げて実機で行えばプレッシャーで私がうまくやることは出来ないだろうという親心からシュミレーターで行ったようだ
感謝しかないが私にも思うところはあった
自分の性格はパイロットとしては性格に問題があり、いずれ事故を起こして死ぬのではないかと
修正できず
その日は天候が不安定でやや不安を残しての訓練となったがランディングに入るまでは何の問題も無かった
しかし着陸時にアップウインドウレグから滑走路に向って降下中のことだ
いつもより高度が落ちずどう見ても高度が高すぎて着陸できる状態ではない
やり直すためにゴーアラウンドを宣言して上昇中に教官からのアドバイスがあった
こんな天気の時には地上と上空では風向が違うことがある。恐らく追い風になっているからいつもより速度を下げて降下率を大きくしなければいけない。
しかしやり直したアプローチでも一回目とほとんど変わらず再びやり直すことになった
速度を落とせと言っただろ
教官の叱責をうけるとそこから焦りが始まったのだろう自分では修正したつもりが、ただやったつもりになっていただけかもしれない
修正するときには少しずつでは素早く修正することは出来ない
まず大きく修正しないと少しずつやっていたのではどれだけ修正すればよいのかが分かりにくい
例えば10の位置から0の位置まで持っていくときにー1ずつ修正していっては時間や回数がかかる
最初に思い切りー12程度修正すれば行き過ぎて修正量が大きすぎるが修正の範囲は分かる
そこから+4でも修正すれば戻し過ぎるが更に修正の為の情報がわかり。恐らく次には0に持っていけるだろう
私はそんなことは忘れて着陸時の失速に対する恐れもあったのだろう少しずつ修正して黒いう悪いパターンにはまっていた
失敗も3度目になるともうパニックである、すでに何も考えることが出来ない状態だったと思う
それまでの訓練の中で最悪の結果となってしまったが、それはとても深刻な事態だった
やらかす
浜松ではそれまでより訓練も高度になりそれまで感じなかった自分の問題を突き付けられることが多かった
結局、浜松が人生の転換点だったのかとも思う
ある日のソロフライトでのことループ(宙返り)に入った時、操縦桿からドドドと振動が伝わってきた
T-33は翼の付け根に翼全体より強い後退角がつけてある、そうすることで迎え角が大きくなりすぎた場合につけ部分が最初に空気剥離が起き(失速する)高速での失速を警告してくれる
操縦桿を引きすぎたと思い引く力を緩めると振動は収まるが再び引っ張るとまたドドドとしんどが始まる
これでは緩いループになり本当に失速してしまうと思った瞬間ある事を思い出した
しまった、またやらした。T-1の時と同じく速度計をしっかり確認せずに100ノット遅い速度でループに入ったに違いない
とっさに機体を背面に入れたがもう遅かった
速度計の目盛りはどんどん落ちていきとうとう0付近でゆらゆらと揺れるだけだった
元々大雑把で迂闊なところがあるのは自覚していたがまさか同じ失敗を繰り返すとは
この失敗で自分の甘さというか性格的に問題があるのではと考え始めるきっかけになった
初めての居眠り
当時の第一航空団にはブルーインパルスもいた
今は松島の第四航空団でT-4を使って飛んでいるがその当時はまだF-86を使い浜松にいた
浜松までくると訓練時間(飛行時間)も多くなり教官も忙しいためにがくせいの訓練に対して教官が足りなくなることがあった
そんな時には稀にブルーインパルスの人が教官の代わりとして同乗することもあった
私も一度だけブルーインパルスの方に同乗してもたったことが有る
本来パイロットと言うものは操縦したがりである
人の操縦する飛行機に乗るなどまっぴらごめん、飛ぶのならば自分で操縦する方がいいと言うのが本音である
基本的には教官もそうなのだが学生の訓練なので何かなければ操縦かんを握ることは無い
しかしブルーインパルのパイロットはとりあえず教官の代わりに同乗しているのであるから気楽なものである
訓練中に怒鳴ることなどないしそれはそれは優しいものだ
私の場合もとても気楽な訓練になった
そして訓練空域からの帰りには「アイハブ」というと基地の近くまで同乗していたブルーインパルのパイロットは自分自分で操縦し始めた
することのない私はしばらく辺りを眺めていたがすっかり気が緩んでいたのだろう
睡魔に襲われた
なにせ軍用機といえども冷暖房は完備している、と言っても暑ければ外気を入れ寒ければエンジン付近の空気を入れるだけだが
その取り入れる空気は前席にあり前席の学生に合わせると後席にいる教官にはどうしても冷暖房が聞きにくくなり
必然、前席の学生にとっては冷暖房は過剰になる
その時は冬で暖房になっていたのだが、かなり暖房が効いている状態でぽかぽかとしている
通常の訓練では緊張の極致に入るためにそれほど暖かいの寒いのなど感じることは無いが同乗しているのは教官ではなく優しいブルーインパルスのパイロット
ぽかぽかと温かいコックピットのなかで私はしばらく記憶をなくした
訓練中に居眠りしたのは後にも先にもこの時だけである
第一航空団
芦屋での課程をを終えると浜松(第一航空団)での操縦過程(上級)へと進むことになった
この過程を終えればウィングマークを獲得して一人前のパイロットとして認められることになる
もちろんそのまま第一線での任務に就けるわけではないが航空自衛隊のパイロットとしては一つの区切りとなる
浜松での訓練で使う機体はT-33でそのシルエットから通称T-bardと呼ばれた機体である
元々この機体は米陸軍の戦闘機として開発され、朝鮮戦争の初期に使われていたが当時としてはすでに性能不足であったためにすぐに退役している
その後は訓練機として使い続けられていた
ここでのコマンダーとは今でも年賀状のやり取りは続いている
とおてもストレートな人で今でもお元気でダンススクールを経営しながら人生を楽しんでいる人だ
もっともパイロットというのは真っ直ぐな人間で無ければ務まらないものではある
こんな格言がある
嘘をついても生きられない、情けで命は保てない
人というものは嘘をつく、その嘘の中で最も質が悪い嘘は自分につく嘘である
都合の悪いこと、苦しいことに直面したときに人は自分に嘘をつく
自分は頑張ったでもこうなったのは運が悪かっただけだ
俺は悪くないこうなったのはあいつのせいだ
知らなかったのだから仕方ない
それは嘘である
そうなったのは勉強不足、準備不足、自分で責任をとるという覚悟不足
全てを受け入れる素直さが無ければ不測の事態に対処できなくて死んでしまう
人に対してもそうである
教官が能力不足の学生に対して、こいつは頑張っているからここでクビにせずに続けてやればなんとかなるかもしれないと情けを書けた結果、その学生は事故を起こして死ぬかもしれない
今日は取り留めのない話になってしまった
海上救難訓練
芦屋では海上救難訓練を経験することができた
内容といえば一人乗りのゴムボート(通常はパックに収まっていて、飛行機の中では尻の下に敷いている)に乗り海の上をぷかぷかと浮いているだけなので、何もすることは無い
中には釣り道具、を持ってきて釣りをする奴もいるが多分魚が釣れることは無いだろう
ただ数人は救難ヘリで救助(回収?)訓練を受けることができる
人数が少ないのでまず希望者を募るのだが私は真っ先に手を上げた
海の上からヘリで救助されることなど一生に一度あるかないか、いや無い方が圧倒的に多いだろう、そんな機会を逃すことは無い
30分ほど海に浮かんでいるといよいよヘリがやってきた
合図とともに救助用のワイヤが下りてきてそれを掴まなければならないのが、これが容易にはいかない
ヘリからたたきつける気流で水しぶきは舞い上がりなかなか目を開けられない上にワイヤは揺れて掴むことが一苦労だ
それでも何とかワイヤをつかみ輪っかに体を通すとへりに合図をすれば、後は勝手に引き上げてくれる
ヘリはすぐに砂浜に着陸し歩いて降りることができた、実に快適な救難訓練であった
もう二度と体験することは無い貴重な思い出となった