お客との人間関係
所長の家は地方では豪邸の部類に入れてもいいほどのレベルで、今同じくらいの家を建てるとすれば1億は行くだろうというくらいの大きさだった。
たまに呼ばれて遊びに行った時によく言っていたことがある。早くに父親を亡くし貧しかったそうだ、それでも努力でこれくらいの家は建てられる。
でも所長はそれを自慢していたのではかった。家を建てるときに保証人になってくれたのがお客の中の一人だという事を誇らしげに語っていた。
車のセールスでも本人次第でそこまでの人間関係を築けるのだと。
後にとんでもないセールスを目の当たりにすることになる。
入社当時トップだったうちの営業所も、その後大口客の台数は成績から除外することになると途端に最下位に転落した。
俺も含めて駄目セールスだったという事だ。
それからは月末が近づくにつれ所長の表情は厳しくなっていくばかり。
その時も月末が近づき頭を抱えるように過去台帳を見ていた所長が不意に立ち上がった。
「おい〇〇(俺の名前)鞄を持ってついてこい」
(もちろん運転は俺だけどね)
向かった先は近隣の̪市にも3軒ほどの病院を持つ医療法人の事務長のところだった。
軽い挨拶の後は世間話だけでなかなか車の話は出ない。
事 「どうよ最近」
所 「んーまあまあだね」
事 「ところで今日は何しに来たんだ」
所 「車売りに来たにきまってるじゃん」
(本当にこんな感じ)
次の瞬間
所 「ハンコ貸して」
と掌を上に向けて差し出した
(え、ハンコ貸して?何それ)
事 「何するんだ」
そういいながら事務長は机の引き出しから印鑑を取り出すと所長に渡した
(え、貸すの?ハンコ貸すの?)
印鑑を受け取ると満面の笑みで所長はこう言った
所 「車替えるにきまってるじゃん」
そして振り返り俺に印鑑を渡した
所 「ほら、書類にハンコ押しとけ」
俺 「あの契約書に何も書いてませんが・・」
所 「いいから押せ、他の書類にも押すの忘れるな」
そして書類に判子を押していく俺。事務長はしょうのない奴だなとでも言いたげに苦笑いしながらその様子を見ている。
後は所長の独壇場
事 「まだ車検は半年以上残ってなかったか?」
所 「それくらいが一番高く売れるんだよ。そうだ今度は白がいいよね、やっぱり車は白が一番。フル装備ね全部付けとくよ」
印鑑を事務長に返すと
所 「さあ〇〇帰るぞ、じゃあね」
用が済んだらさっさと撤退するのであった
世の中には「ハンコ貸して」で車を売る人がいるのを初めて知った