村上司令の最後の思い出 

私の期の地上教育課程の卒業と同時に村上司令も航空学生隊司令を退任することとなった。

定年まで残り一年は空幕付きだったと記憶する

 

その卒業と退任の前日、私ともう一人が偶然にも隊司令室の掃除担当となった。

 

その日司令室に入ると通常は部屋にいない司令が応接セットのソファーに居住まいを正して座っていた。部屋に入る時には「入ります」と声掛けをするのだがその声に対しても全くの無反応のまま両手を膝の上に置き真っ直ぐ正面を見つめたままだった、その目は何か考え事をしているかの様だった

 

部屋の清掃の最後のワックス掛けを終え退室しようと

「帰ります」

と敬礼をした時だ。それまでずっと黙ったまま身じろぎもしなかった村上司令が

「ありがとう」

といって深々と礼をしたのに私ともう一人一緒に掃除をした同期生は思わず顔を見合わせ身が固まってしまった。

どんなことが有ろうと司令が学生に頭を下げるなどありえないのだあら。

 

卒業後は二度と村上司令と顔を合わすことは無かったが、その後のうわさでは退官直前に空将補に昇進したとのことだった

 

あまりに遅すぎる昇進だ。源田実に逆らったことが航空自衛隊内でのその後の処遇を決めてしまったが

多くの隊員から尊敬すべき指揮官として敬愛を受けたのは間違いない。

 

数年後、前に書いた車のセールス時代に1度だけ村上司令から電話がかかってきたことが有る。

私は浜松のトヨタ系ディーラーにいたのだが、村上司令は退官後に浜北に家を建て住んでいるとのこと。

話は、保険の営業をしているのだが私も自分のところに来ないかという事だった。

 

自衛隊で高官だった人が営業系の仕事に就くことはままある。なにせ人脈はたっぷりあるのだから。

 

当然、上司(前の話にあるトップセールス)に相談したが

「保険のセールスはやめておいた方がいいぞ。車のセールスも大変だが保険というのは形がない。車という形のあるものを売るのに比べてかなり大変だぞ」

という意見だった

 

行きたい思いもあったが上司である所長にも自衛隊を止めた後、あてもなくぶらぶらしてた私を拾ってもらった恩もあった。

結局村上司令の申し入れは断ったがそれが最後の思い出となった

 

多少の後悔と懐かしさは今でも私の心の中に残っている