どこかに何らかの意思がある
村上一佐が閑職に追われたのには理由がある。閑職と言っても(防府)基地司令兼任の隊司令なのであるからそれなりの要職のようには見える。
しかし考えてみてほしい。自衛隊の部隊の中でパイロットがいる部隊の中で入隊後最初に入る部隊である。
多くの実戦部隊(TAC)があるにも関わらず航空学生の隊司令なのだ。人物にふさわしいかどうかという観点から見れば、まさに閑職と言っていいだろう。
なぜそういう立場に追い込まれたかという事に関しては一人の人物の存在がある
源田実
少しでも太平洋戦争に興味があり戦史について調べたことが有るものなら一度は聞いた名前だろう
日本航空戦力の歴史における先駆者で真珠湾攻撃においては航空作戦の責任者であり実質の真珠湾攻撃成功の立役者
大戦末期は松山343空司令として名を上げ
戦後は航空自衛隊草創期の功労者でありブルーインパルスの生みの親
その後は国会議員として活動することになるが、私
ー自衛隊では自分のことは、私(わたし)と言わなければいけない
当然として当時は自分のことを私と言っていたので以降は私と自称することにするー
源田実とのいきさつがその後の村上英士の自衛隊での立場を決定することになる